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10月31日 使い捨てカイロから地磁気まで(5)



結局は既に渡されていた大量なる文書の中にある、その文章を指で指し、
その文字1文字1文字を嘗め尽くすように読み上げられる。

もちろん反論の余地など一切ない。
その並んだ文字の配列は完璧でありどこにも曖昧さは存在しない。
その文章における感触はあくまでも冷酷でありそして人間味を一切奪っている。
既に頑固なまでに主従関係をひたすら求めた組織の如く、下に対しては僕(しもべ)だとの
感覚がその指の動きを通してひしひしと感じられる。
その動作は人間が生み出たロボットの動作以上の冷たさで、その冷気はひしひしと肌を伝わり
全身の全神経を麻痺させて行く。
これほどまでに温かみを奪いそしてもしそこに氷があれば二度と溶ける事はないであろうとの
思いを掻き立てるように一切の採光を遮り、そしてその指は静かにそしてゆったりと
動いている。

その動きの元にあるものは一体何であるか。

その命題に対しても一切拒否したその指の動きはまるで研ぎ澄まされた不気味な光を
反射させているナイフのようで、そのものが心の奥深くに存在する恐怖という概念をより一層
掻き立てる。

それは、一旦引き受けたのであれば、当然受け手は一切全てを教授せねばならない。
いくらその文書が膨大なページ数だとしてもその内容1文字1文字全てについて
責任を負わねばならない。
いかなる状況においてもそしていかなる社会的立場においてもその紙に書かれた文章、文字は
その会社の命運すら握っているといっても過言ではない。






今回出荷したスクリューの羽根の厚みは9mmです。
平鋼をスパイラル状に巻いています。





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by moritoyamachan | 2006-10-31 21:01 | スクリュウコンベア

10月30日 使い捨てカイロから地磁気まで(4)



我が九州は福岡、博多の町工場で頻繁に聞かれる内容がある。
「お宅で作っているのはコンベアだけですか。」と。
それに対してはもちろんこう回答している。
「コンベア以外でもつくれるものは何でもつくっています。」と。

実際、客先の要望に合わせ可能な限りあらゆるものつくって来たし、これからも
つくっていくつもりだ。
先ず考え図面を書く。
そして製作。現地組立、据付。
一環して行っている。

しかし、最近特に公にできない秘密契約なるものを結ぶ機会が多くなった。
そのため一切公表できない製品もあるし、契約を結んでいなくてもその行為を憚れる製品も
多々ある。

しかしだ。私は個人的にも、実の所秘密にしていることがある。
ところがどうもその事実を既にご存知の方も多々いらっしゃるようだ。
私は秘密にしていたつもりではあるが。
やはりそれはつもりだったのであろうか。。。。






下記写真は、コンベアチェーンでも特殊なチェーン、ピントルチェーンです。
今回は特殊環境下のバケットエレベータで使用します。


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by moritoyamachan | 2006-10-30 20:52 | チェーンコンベア

10月29日 使い捨てカイロから地磁気まで(3)



もうあいつには力が残っていないだろう。
もう既にあいつは残る僅かな力も使い尽くし、更なる一歩など到底進む事など不可能なはずだ。

あいつは今まで決して逃げなかった。
あいつはひたすら正面を向いてひたすら歩んできた。

あいつは確かに社会的立場で言えば決して強者ではなくかなりの弱者の部類に入るであろう。
しかし、あいつには社会的立場、地位、権威など全く関係のない事柄であったに違いない。
ひたすら顔を上げ決してひるむことなく、堂々と力強かった。

しかし、何故かしら地味である。決して目立たない。
それでいて私には気になる存在であることには間違いない。




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by moritoyamachan | 2006-10-29 16:00 | この世にある考え

10月29日 リチウムイオン電池の発火原因はやはり短絡ですかな。



ご存知の通り、リチウムイオン電池は日本メーカーが世界の中でも圧倒的なシェアがある。
松下、三洋、ソニー各社。



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松下グループさんには我が社はたいへんお世話になっております。
日頃ご愛顧頂き有難うございます。

話がそれたついでに。
最近も外出する機会が多い。遠方もかなりある。
そして我が九州は福岡、博多の町工場へも遠方よりわざわざご来訪いただける。
たいへん有難うございます。感謝致します。

先日も飛行機で遠方より来られた。
たいへんご足労お掛けしました。
たいへん先駆的開発案件でそして成功すれば必ずしや世間の注目を浴びるものだと
確信しているとです。
微力ですがこれからもお力添えができれば。
今後とも宜しくお願い致します。

そしてコウイチさん。すんません。
10月30日は私目は日中外出しておりまして。
わざわざ博多まで来られるのに。
いつか私が飛行機にゆら~り揺られて行きます(神奈川)県。いやけん。

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最近出張した由布院の由布岳から別府にかけての様子ですばい。




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by moritoyamachan | 2006-10-29 12:00 | この世にある考え

10月23日 使い捨てカイロから地磁気まで(2)



もうすんでのところだ。
もう一歩進めばようやく乗り越えることができるはずだ。
ここまで到達するまでにどれだけの歳月と労力をつぎ込んだだろうか。
ここまでどんなに苦しめられそしてどんなにあがいた事か。
その日数を数えれば人生の長い航海の中でほんの僅かな数海里進んだだけかもしれない。
短い航海だとしても四六時中頭を決して離れることなくそして人間と言う生物が生きる上で
不可欠な睡眠と言う行為までその時間を犯されていた。

自分自身の脳細胞はそれ以外の事柄は最早入る余地などなく、ひたすらそのことのみに
全神経を擦り減らしていた事になる。

体は猫背になり、歩む速度も一段とのろくなっている。
それでも思考回路の働きは決してやむことがなくそれのみにだけ私の体そして脳細胞の全て
注ぎ込まれているのだ。

しかし、既に過去のことだ。
今現在、今と言う瞬間に既にここに私はいるのだ。
もうここまで来ているのだし過去を振り返る暇があればこのまま先に進むべきなのだ。

もう少しであの光りを体全体で味わうことができるのだ。
ほの暖かくそして体全体を包み込むあの静かなとてもこの世の出来事とは到底思えない
心地よい安らぎの世界が私の目の前に突然にそして唐突に現れるはずなのだ。

あの慈しみのあるあの親しみに溢れるあの柔らかな光がいよいよ。


いよいよもう少しで、あの。。。。。。。。。






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by moritoyamachan | 2006-10-24 07:00 | この世にある考え

10月21日 モジュラーベルトはカーブ、直線一本のベルトで搬送できます。



一瞬私の心臓の鼓動は停止した。
その原因は電話の受話器向こうより聞こえるお客様の声だ。

何とお客様こう発言した。
「コンベアが止まったばい」と。
そうだ。止まった ばい だ。

体全身は総毛立ちそして震わせながら即座に行動に移す。
この体の振動は決して貧乏ゆすりではない事を書いておかないと私に対する
勘違いがより一層あの真実味を帯びてしまう。。。。








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本日のカーブ直線モジュラーベルトコンベア試運転はお陰さまで良好でした。
これから少々手直しを加え、出荷へと。
納期間に合います。
嬉しさで体が震えています。
この振動はここでも決して貧乏ゆすりではない事を断固としてそして歴然と書いておくとです。






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by moritoyamachan | 2006-10-21 18:52 | ベルトコンベア

10月19日 サン付コンベアベルトはもちろん修理ができます。




ベルトコンベアで使用する黒ゴムのサン付コンベアベルトはもちろん修理ができます。
コンベアベルトに穴が空いたとしても、上そして下からベルトを当て接着補修します。

コンベアベルトの補修方法は大きく分けて2種類があります。

1.自然加硫
 接着剤のみでの修理。接着剤が自然に乾くのを待ち時間と共に接着力が増します。
 殆どがこの方法を取る。
2.熱加硫
 接着剤で取り付けた後プレス機ではさみ、高温をかける。
 耐熱ベルト等特殊なベルトについてはこの方法を使う。




下記がサン付コンベアベルトの補修後の写真です。





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by moritoyamachan | 2006-10-20 06:36 | ベルトコンベア

10月13日 スクリューの羽根製作が活況を呈しているとです。



他人へ相談できないから悩みなのである。
他人へ告白できる内容であればそれは既に悩みではなく解決と言う輝かしい勲章を
与えるべきだろう。

確かに生物、この地球で生きとし生けるもののうち、人にだけは間と言う言葉を授かり
そしてそのお陰で他の生物にはない人間と言う2文字に乗りかかり生きていける。

しかしながらその人間と言う2文字を創造したのは人つまり人間である。

その人物は恐らく人とは決して一人では生きていけない、人と交わり互いに寄り添いながら
そして認め合わなければ生きて生けぬとの思いを存分に表現しうる言葉として間と言う
文字を当て嵌めたのであろう。

それだけにその人物は自分自身の孤独感、寂しさそして哀しさを大いに語りつくせぬほどに
体全体で感じ、そして私と言う個人を慈しむそして育むに必要な慈悲にどっぷりとつかり
哀れなる心の大きな波に飲み込まれそして流れ流されていたのでなかろうか。

さすれば、やはりその流れに乗るのではなくひたすらもがみそして苦しみながらも一点目の前に
光りうる採光を求め歩きさまよっていたはずだ。
そしてついぞ、その暖かな柔らかな光に包み込まれるという類まれにみる人生においての
強運とも幸運とも言えるゆったりと前後にゆら~りゆらりと揺らされ今にも眠り心地に到達しそうな
たいへん心地よい恵まれた大きな泉へ潜っていったのであろう。

もちろんその泉には呼吸ができる暖かな静かで透き通った水が湧き出ている。
泉のなかで大きな深呼吸をしながらそしてついぞ新たなる輝きの光を見つけたのだろうか。






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最近我が九州は福岡の町工場で最も多い引き合いのがスクリューそして
ベルトコンベア式乾燥機です。
そしてお陰さまでスクリューは羽根のみあるいは軸付羽根製作と実際ご注文頂き
我らが職人は大忙しです。
もちろん他にも続々とご注文が。
たいへん有難う御座います。御礼申し上げます。







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by moritoyamachan | 2006-10-13 21:00 | スクリュウコンベア

10月6日 私はお電気です。



一向に前に進まない。
一向に進行しない。
既にしばらくの間停止したままだ。

やるべきことは自分では十二分に理解している。
やらなければならない事は自分自身の意識に明確に植え付けられている。

ではどうしてやらないのか。
どうして自分自身で進行させないのだ。

自分自身ではやろうという意志はあるし、既に頭の中には完成した姿が思い浮かんでいる。

しかしながら一向に前に進まない。
やろうとしても手足が全く動かないのだ。

意識の上では自分自身の体全身を動かせとの指示を思い存分出している。

その指示は本来であればたちどころに体全身へ伝わりそして私は融通無碍にそして自由自在に
優雅にそして典雅に舞い踊るように立ち振る舞っているはずだ。

ところがだ。
私自身の五感を兼ね備えた体へ命令を出そうが、そしてついぞ奮起を立たせるべく
いやおう無しに叫ぼうとするがするが、既に喉は渇ききってしまっており、
そのかすかな声すら発散できないのだ。。。。。




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by moritoyamachan | 2006-10-07 06:59 | 体調は絶好調

10月4日 使い捨てカイロから地磁気まで(1)



やはり個人一人の力とは微々たるなのか。
一人の力はどうせ多勢に無勢なのか。

多大なる組織対して小さき者は既にその存在すらも亡き者とされるのか。
弱き者。その者は常に否定され続け、強き者から常に白き目で見られるのか。

ではその弱いという定義は一体何なのか。
誰しもこの地球と言う奇跡の星に生まれてきた人である。
人は誰しもたった一人では生きていけない。
そのため他の動物とは異なり人間と言う表現ができるのである。

そして社会的判断。客観的判断と言う言葉を使用しても良いだろうか。
同じ人間がそれぞれの地位を決定しそしてその立場において人間そのものの価値を
判断する。
果たしてそこに疑問符が付き纏うのが客観的と言う表現であろう。

その客観的と言う言葉は特定の立場に立たないで物事を判断する事であろう。
しかし、厳密に考えるならば逆の言葉である主観的との差異は果たしてあるのか。

客観的とは特定の立場に鑑みる事無しにとなるが実際、現実にはその立場とは
ありうるのか。
立場とはその立たされた時間そして空間において変化するものでありそして当然それが
自然と言えるであろう。

人は努力する。
その努力の理由としてもしかしたらより強き者ヘと自分自身を変化させようとしているので
あれば。
ひたすら人と比較しそして決して社会的立場において強き者ヘと栄達する事のみに
力を注ぐのであれば、それはやはり自然と言う2文字を使うべきなのか。

それでは一体強き者と弱き者。
いずれも同じ人でありそして同じ人間である。
さすれば、一体その判断はどんな人物がするのだろうか。
いやすべきなのだろうか。

人が人を判断する。価値を決める。
そこにどうしても必要な条件として競争という言葉が生み出される。
しかしだ。
一体人とは他人を比較しそして地位を決定しうる事はできるのであろうか。

しかし、現実には行われているし、又行わない限り社会は存在し得ないであろう。

競争と自由。
この自由とは決して解放とは異なり常に不安と悩みを抱え込むことが必然であろうか。
ついぞ常に悩む事こそが生きている証であるのは間違いないようだ。

しかしながら、弱者なら弱者の生きる道そしてそれが身分相応と言う言葉に
結論付けられるとしても
私は決して否定できないことが今さらながら強く感じたことをここで記しておく。


ついぞ巨大なる組織の力に立ち向かう事こそがその弱者にとっては身分不相応なのだと
身に染みて感じ入っている今日この頃ですたい。






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by moritoyamachan | 2006-10-05 06:38 | この世にある考え